東洋医学おもしろ話 ~鬼のパンツは寅?(方位と時刻)

今回は「方位と時刻」についてお話します。

これも「干支」が関連して、日常生活においてとても興味深い関係だと思います。
五行は、東を「木」、南を「火」、西を「金」、北を「水」、そして中央には「土」をあてはめます。

これは陰陽説発祥の地である中国大陸を思い起こせば理解できると思います。

東方は太陽の昇る方向、南方へ下って行くと暑い土地へとつながり、西方には雪を冠った高い山々、北方へ上って行くと寒い地方へとつながります。そして中央には黄色い土に覆われた広い大地があります。こう考えていけば成程と思っていただけると思います。そして中央で活動しているのは肌の色が黄色の人間です。


また、方角を干支にあてはめると、真北を「子」として方位を十二等分し、各々の方位に「丑」「寅」と割当てていきます。

南北を結ぶ線が「子」と「午」、つまり子午線です。

東北にあたるのが「丑寅」(うしとら艮)=「鬼門」です。

この東北にあたる方位がなぜ「鬼門」として忌み嫌われるようになったのかは、古代中国の道教の考えが関係しているようです。

泰山府君という冥府の神が信仰され、その泰山という山が北東に位置したことから冥府=北東=丑寅=死という事になったという説があります。

また、今でも人が死ぬと「鬼籍にはいる」と言うように、「死」と言う語が昔は「鬼」と同義だったようです。そこで「鬼門」という語が生まれたとも言います。

鬼の姿も「丑寅」(うしとら)から、牛の角に虎の毛皮のパンツというデザインになった……と言います。


東西南北が子・卯・午・酉に配当されるのに加えて、北東・南東・南西・北西はそれぞれ「うしとら」「たつみ」「ひつじさる」「いぬい」と呼ばれ、該当する八卦から、「艮」「巽」「坤」「乾」の字をあてます。
「辰巳芸者(たつみげいしゃ)」とは、深川仲町(辰巳の里)の芸者のことで、この地が江戸城の南東に位置したことからできました。船舶航行時に使われた「おもかじ」「とりかじ」という言葉は、「卯面梶」「酉梶」から来ているとする説もあります。

鬼退治に行く桃太郎が引き連れているのが、猿(申)・キジ(酉)・犬(戌)というのも、とても気になるのですが、中々そのヒミツを説いたものが見つからないのでここでは書きません…(裏鬼門説は方角が合っていないのでダメです……)。

 

十二支 動物 五行 方位 時刻 陰陽
子(シ) 11月 0時
うし 丑(チュウ) 北北東 12月 2時
とら 寅(イン) 東北東 1月 4時
卯(ボウ) 2月 6時
たつ 辰(シン) 東南東 3月 8時
巳(シ) 南南東 4月 10時
うま 午(ゴ) 5月 12時
ひつじ 未(ビ) 南南西 6月 14時
さる 申(シン) 西南西 7月 16時
とり 酉(ユウ) 西 8月 18時
いぬ 戌(ジュツ) 西北西 9月 20時
亥(ガイ) 北北西 10月 22時

 

恵方

恵方は年の十干によって決めらます。十干の中で、「甲-己、乙-庚、丙-辛、丁-壬、戊-癸」の5組については、それぞれ2つの干の間に密接な関係があるとされていて、これらの2つの干が合して一体となるとされており、これを「干合」といいます。

この干合の関係から「徳神」が決められており、陽の干は自らが徳神であり、陰の干は干合する干が徳神となります。恵方とは年の干の徳神が指す方角です。

年の十干 方 角 西暦年末尾の数字
甲・己の年 甲(寅卯の間) 東北東 4 または 9
乙・庚の年 庚(申酉の間) 西南西 0 または 5
丙・辛の年 丙(巳午の間) 南南東 1 または 6
丁・壬の年 壬(亥子の間) 北北西 2 または 7
戊・癸の年 丙(巳午の間) 南南東 3 または 8

 

時刻

昔の時刻は午前0時を中心にして前日の午後11時から午前1時までを子の刻(一刻は今の2時間)、午前1時から午前3時までを丑の刻…というように、2時間ずつ干支を配当しています。

「草木も眠る丑三つ時」は幽霊が出る時間として有名ですが、これも丑の刻から寅の刻になる「鬼門」の時間です。「丑三つ時」というのは2時間を4で割った3番目ですので、正確には午前2時を指します。

丑の刻参りは、元々は心願成就のためのものだったようですが、時間がちょうど鬼門のため、「鬼」の呪力を借りて呪いを成就できるという風習に変わって行ったようです。怖い・・・

正午=午の刻(昼の12時)、正子=子の刻(夜の12時)、午前=午の前、午後=午の後、の表記もこの干支による時刻に由来しています。

 

東洋思想は、このように普段何気なく使っている言葉や風習としてそのまま残っていることが多く、とても興味深いものなのです。

 

 
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